真ん中に立つ人間 ― ソロモンの偽証をみて
ソロモンの偽証前編見てきました。
クリスマスの朝、校庭に転落死した男子生徒。その死は自殺か殺人か―。
こんなシンプルなあらすじだと怒られそうなので補足。
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とある中学校の男子生徒が転落死。その死は「自殺」と断定された。
しかしある日、事件現場の目撃者から告発状が届く。
「彼は自殺ではなく殺されたのだ」
と―。
マスメディア、学校、親、社会…が事件に翻弄される中、
転落死した男子生徒のクラスメイトである藤野涼子は全ての真相を明らかにするため、
「学校内裁判」
をすることを決意する。
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という感じです。(※詳しくはサイトなどで)
原作を見てから映画も見てみました。
一言で感想を言うと「キャラ」ということについてすごく考えた作品でした。
よく言いますよね。
「いいキャラしてるよね」「おまえそういうキャラじゃないじゃん」
むかーし読んだ
キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像 (岩波ブックレット)
- 作者: 土井隆義
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2009/06/05
- メディア: 単行本
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この本のタイトルも思い出したりして。
この作品に出てくるクラスの人物は「キャラ」がはっきりしています。
主人公・藤野涼子は
「真ん中に立つキャラ」です。「スター」なのです。
家庭環境も刑事の父・建築設計士の母を持ち幸せな家庭。映画ではあまり出てきませんでしたが、おそらくスポーツもでき、勉強もできるのでしょう。更に学級代表という肩書があります。
彼女は自分が意識せずとも真ん中に立つ人間なのです。何があろうとも誰かが助けてくれたり、事態が好転したり…彼女を中心に世界が回っているといっても過言ではないでしょう(ここでいう世界とは中学生が持つ世界なので「クラス」や「学校内」と言った感じでしょうか)
さて対称となるのが、三宅樹里。
見ている人にとってはなんて嫌味な人間だろうと思うでしょう。
しかし彼女は「真ん中に立ちたい人間(スターになりたい)」です。
にも関わらず、家庭環境や自身のコンプレックス、そこからうまれる性格…など思うように真ん中に立つことができない人間です。さらには、いじめなど負の要素を背負うことになります。
彼女にとって「無意識にスターになれた」存在である藤野涼子は、羨ましいという思いを越えて憎い存在であったに違いありません。
「スターになりたい」と思う子は樹里の他にも多そうなのになぜ彼女と藤野涼子の対比だけが浮かび上がってくるのか、と考えた時に
「きっと他の子は自分の居場所やキャラに納得しているのだろう」と思います。
浅井松子…彼女は「太っている」ということにコンプレックスを抱くのではなく「そういった人間に立ち向かうのではなく、明るく強く生きよう」とします。
そのため、身体的な特徴を持っている樹里とくらべてもやはり「上手く生きている」という印象を受けます。
倉田まり子…涼子の友人ですが、個人的には彼女も「スターになりたい」と思っている1人だと感じます。ただし彼女も「スターである涼子の親友」であることに落ち着いています。
その他の子たちはどうなのだと思われるでしょうが、その子たちは「圧倒的な個性」を持っています。というよりは「こだわり」をすでに強く持っている印象を受けます。
向坂行夫…おそらく学歴コンプレックスを多少なりとも感じてるはずですが、優秀な人間になる(である)ことに納得している印象です。
大出俊次…暴力ですべてを解決している人間です。「力」を持つことの有益さを既に知っている人間です。悩みがないというわけではありませんが、ある特定の地位をすでに持っています。
ちなみにこのように繊細な立ち位置が決まっていることに対して、疑問を持ち「くだらない」と考えたのが柏木卓也なのだろうと思います。(詳しくは後半をご覧になってください)
この作品はただ単にいじめ問題や学級崩壊、マスメディアのあり方…などを訴えたものではないと思います。男子生徒の死と二人の女子生徒の違いを通して、「人間関係」を取り扱ったものだと感じます。
後半も楽しみにしています。